「私が中学生の時に突然死した父、必死に働いた母のこと。その1」の続きです。

私が中学生の時に突然死した父、必死に働いた母のこと。その1

父の仕事を継ぐ人は?

父の通夜の日だったか、親族たち大人が集まって家族会議のようなものをしていました。

話し合いでは高校生の兄が「俺が高校を辞めて家を継いで働く」と言い出したり、「女一人では子ども二人は育てられない」と親族に言われたり…だったらしいです。

母は自分自身、高校生の頃に私の祖父に当たる父親も急性心不全で亡くしています。

本当は大学の推薦が決まっていたのに高校を辞めて働けと言われたのがとても嫌だったのだそうです。

部活動は辞めて家業の商店を手伝うから高校だけは卒業させて欲しいということになり、4月生まれの母は高校三年生の4月の誕生日に車の免許がちょうど取れるように教習所の通ったと聞きます。

市場に仕入れに行くためです。

今考えると、高校生の女の子が身体の弱い母親、妹二人、祖母(私の曾祖母)の5人家族の大黒柱になるべく、早朝に市場に仕入れに行って、競りにも参加していたというのは感心してしまいますね。

自分の母ながら…。

 

そんなこともあり、自分の息子には高校はきちんと出て欲しい、青春を謳歌して欲しいと願ったのでしょう。

誰に何と言われようと、女一人でも子供を育てる。成人させる!と心に決めたようです。

金庫の暗証番号も亡くなった父のアタマの中に…

父が小さい会社を経営していたので、母がそこを継ぐことになりました。

接客や雑務は手伝っていたものの、経理含め内部のことは全て父一人でやっていたので、母は金庫の暗証番号も知らされていませんでした。

 

父のアタマの中だけで駒を動かしていた小さな会社だったので、母は最初は右往左往したようですが努力と忍耐力と元々持っていた勘の良さのようなもので母の代で会社が少し大きくなりました。

従業員にも恵まれました。

 

運良く平成初期の好景気も来ました。

経営方法がどうのこうのと難しいことは考えず、王道の安全運転経営をしていたため、気を良くして景気の波に乗り過ぎることはなかったようです。

それがかえって良かったのでしょうね。

 

つづく…。