こんにちは。クレア自由が丘治療院の比良田めゆみです。

 

昨年の2016年11月に10年ほど寝たきりだった祖母が亡くなりました。

今月はちょうど一周忌がありました。

そして、今度は母の妹である私の叔母が長く患っていた病が悪化したため、今年2017年に亡くなりました。

 

法事が重なり、親戚と顔を合わせることが多かったこの一年

入院期間中、何度か叔母を見舞いに行きました。

他の親戚と待ち合わせて見舞いに行くこともあり、また見舞いに行くと既に親族の誰かが見舞いに来ていることもありました。

久しぶりに会う親戚もいて、叔母に会いに行っているのですが、親族同士で近況を話すことがありました。

何度か見舞いに行くと、同じ親族にまた会うこともありました。

 

そして、叔母が亡くなり葬儀があり、また親族が一堂に集まることになりました。

また久しぶりに会う身内もいました。

親しい友人ならば「どうしてる?」と積極的に連絡を取りますが、親戚となると、子供の頃はよく顔を合わせていたのに、会う機会が減ります。

こういうことでもなければ、会うことはないのだろうなと思う親戚もいます。

 

でも、会えば他人ではないので、祖母や叔母の過去の話を中心に、あんなことがあった、こんなことがあったという話で盛り上がります。

きっと亡くなった祖母や叔母も、自分の話をしてくれていることは喜んでいるのではないかと、私は思っています。

ちなみに私は特に強い宗教観はありません。

 

『死者が取り持つ身内の縁』

「法事が最近、多いのです。久しぶりに会う親戚も多くて、こういう時にしかなかなか会って話すことってないですよね」という風に昔から親しくしてくださっている年配のクライアントさんにお話をしたところ、「それは、死者が取り持つ身内の縁だね」とおっしゃいました。

この方がおっしゃった『死者が取り持つ身内の縁』という言葉が、ことわざや昔から伝わる言葉なのかと思い、調べてみました。

特にどこにも見当たらなかったので、このクライアントさんご自身の言葉なのかな?と思います。

ご自身の身内が亡くなられた時に、そうご本人も思われたのか、私の話から浮かんだ言葉なのでしょうか。

 

 

『死者が取り持つ身内の縁』

この言葉は本当にそうだなと思いました。

祖母が亡くなる直前、祖母の葬儀、祖母の四十九日、叔母の亡くなる直前、叔母の葬儀、そして叔母の四十九日。

去年と今年は、親戚と顔を合わせる機会がとても多かったです。

以前、見た時は小さな子供だった遠縁の子がもう就職していたり、結婚していたり、その子供がもう小学生になっていたりします。

会うといつもムスッとしていた親戚が数年ぶりに会ったら、だいぶ性格が丸くなっていたり…。

とても驚かされます。

親戚同士、互いに助け合っていることに、ふとした瞬間に気付くこともあります。

たわいない昔話をする中で、ふと自分も癒されていることに気付くこともあります。

また法事ではない時でも、お茶やご飯に行きましょうという話にもなりました。

 

まとめ

人が亡くなることは、悲しいことではあります。

その人ともう会えないと思うとつらくもなります。

でも、亡くなった方が人を集めて、その人と関わりのあった人と、その人と関わりのあった自分を会わせてくれる機会を与えてくれています。

久しぶりに親戚に会って話をする中で、考えさせられ、学ぶこともありました。

亡くなった人が取り持ってくれた縁を大切にして、人はまた普通の日々を歩んでいきます。