こんにちは。クレア自由が丘治療院の比良田めゆみです。

もうすぐ12月ですね。どおりで寒い…(;’∀’)

たくさんの方に質問して頂く、「なぜ比良田さんは鍼灸師になったの?」について、改めて書いてみようと思います。

なんで鍼灸師になったのか?

20代の頃は、オフィスで普通に働く派遣社員や契約社員をしていました。

時に、とにかく貯金をしようと思って、残業や土日出勤もある工場で契約社員をしていたこともあります。

理由は残業や土日出勤をすると、手当が付くからです(;’∀’)

29歳まで実家に住んでいましたが、そろそろ実家にお世話になるのも卒業かなと思い、また仲が良い友人が都内に住んでいて、「こっちに来たらいいよ」と言ってくれていたので、一人暮らしを始めることにしました(厳密に言うと、ルームシェアですが、各々の部屋がきっちり分かれていたので、一人暮らしと言って良いかと思います)。

実家のある千葉で契約社員をしていましたが、契約が切れる時に引っ越しをすることにしました。

貯金もある程度あり、仕事もしていない状態だったので、行ってみたかったハワイに旅行に行きました。

あと、何かこんな時期しかできないことって何かな?と考え、思い出したのが、以前テレビで見た断食道場の名前を書いたメモを大事に取ってあったことでした。

その断食道場の名前は『やすらぎの里』という名前で、伊豆にありました。

これはいい機会だということで、一週間の断食のスタンダードコースに申し込みました。

友人たちが「断食なんて恐ろしいことをなぜするの?やめておきなさい」、「しかも!食べないのに、お金を払うのか!」と言ってくれるのを振り切り、いざ旅立ったのを覚えています。

(ちなみに断食コース1週間でも1週間丸々全く食べないというワケではなく、途中から回復の軽い食事になっていきます。飲み物も飲めます。それと、断食コースが向いていない人や、断食をしたくないけれど「やすらぎの里」が好きな方は、断食でない身体に優しい食事コースもあります)

やすらぎの里(養生館・旧本館)

同じ日に20人ほどの人が同時に断食をスタートするので、私が想像していたよりも断食は苦しいものではありませんでした。

食べない仲間がいると断食はそれほど苦しいものではありません(個人差あり(;’∀’))。

やすらぎの里さんはリピーターの方がたくさんいらっしゃっていて、その中で特に会社を経営されている女性社長さんと仲良しになりました。

その方と話している中で「オーナーの大沢先生はいろいろご苦労されて来たからね…」という話になりました。

「そうなんですか!?」と伺ったところ、女性社長さんに「あなた!まだ先生の生い立ちを読んでらっしゃらないの? 読んでいないならば、早く、早く! ロビーのところに先生の生い立ちが書いてある冊子があるから、急いで読みなさい!ボーっとしてないで早く!」とおっしゃいました。

ボーっとせずに、すぐに読みに行きました。

涙がポロポロ流れました。

ほとんど食べていないので、少し体が弱っているというのもありましたが、それがなかったとしても泣いていたと思います。

ホームページでも読めます。この「やすらぎへの道」という大沢先生の生い立ちです。
やすらぎへの道

先生がなぜ断食道場を作ろうと思うに至ったのかが書いてあります。

そこにはご家族への愛があります。

この大沢先生の生い立ちを読み、読んだ瞬間はただ涙…でした。

が、東京に帰ってきてからふと稲妻が落ちました。

 

「大沢先生のような人になりたい!」

大沢先生は、飄々として、押しつけがましくなく、しかし底に秘めた強い思いを持って、人を支える仕事をされている。

なんて素敵な方なんだろう。

そうだ、大沢先生は鍼灸師だ! 大沢先生のような人になるには鍼灸師になるしかない!

と、非常にシンプルかつ、短絡的すぎないか?の発想で、都内の鍼灸学校のパンフレットを取り寄せ、見学に行き、受験をし、鍼灸学校の夜間部に通うことになりました。

仕事は学校が決まってから、朝10時から夕方16時までの企業の派遣事務員の仕事を見つけました。

というのが、鍼灸学校に行くに至った経緯です。

 

まとめ

思い立ったが吉日。

人生は短いので、そうと決めたら即実行。

あれから13年。

私は鍼灸師として働いていますが、鍼灸師になったからと言って、大沢先生のようにはまだなれていません。

(それは当然!)

それでも、生きるのに疲れた人たちが立ち寄れる場所を提供したいという気持ちは、継がせて頂いております。

やすらぎの里